馬と鹿と野と郎

「世人は欺かれることを欲す」(ペトロニウス)

これは不幸にも体の弱い男、人生の坂道を転げ落ち続けている男の血書である。

 近況。

 WEBライターの仕事を始めたものの、体が弱くて順調にいかない。それはまぁ、ある程度予想された事だった。驚くところはどこにもない。まだ三つしか記事を書き上げていないが、それらに集中的に取り組んでいた次の日、二度も腹を壊した。激痛と気分の悪さで本当に苦痛だった。

 しかしこれではっきりと、「体が悪い」ということは再確認された。病院で、医師に強く訴える。そこではっきりとした回復に向けた治療が示されないなら、市立病院や大学病院に行く。
 全く仕事をせず、多少の雑用以外はのんびりしていたため、最近でいえば体は悪くならないが将来の展望もない状態だった。しかし「将来の展望がない」というのは、医者が直接解決する問題ではないためか、「仕事ができなくて不安」「どうすればいいのか」といっても、「あせらないで」といったいかにも型通りな返答のみだった。
 発達障害だから・・・、うつ病もあったから・・・、「あせらないで」。それは全く正論なのだろう。しかし養ってもらっている両親が年を取って、体にどんどんがたが来ていたり、収入が細る客観的現実というか、外部の状況が全く変わらない。じわじわと進行するのみ・・・。その客観的現実が間違っているのか(福祉の問題とか)、「あせらないで」「縛られない」「勝間和代にならなくていい」といった慰めの言葉だけがいじくりまわされているのか。

 そんな難しいことなど私にわかろうはずもないが、12年とか8年とか三つの病院に通っているのに、なぜ体はほんの少し変わっただけなのか。
 そこで皆さんは思うだろう。「病院を変えればいい」。実際、弟Aも「治らない」といったら、何度も病院を変えろと説教した。ただし、治らないからと病院をころころ変えるのは素人考えなのか、週刊誌やテレビ番組では「医者を変えたら劇的に治った!」という話が人気だが、プロの医者やジャーナリストは「医者を変えろ」とはめったに言わない。
 近藤誠氏のようなインチキ臭い主張の医師もいるし、週刊誌やテレビ番組の情報を当てにして、マスコミ名医を求めて大病院に行くのも浅はかな考えに思える。・・・が、もうできることはすべてやるしかない。
 そういう考え方の迷いはともかく、そもそも体が悪くて、遠くの市立病院や大学病院に行っても体が持つのかわからなくて、怖くて行けなかった。

 じゃあなんでのんきにツイッターをやっていたんだ? と思われる方もいるかもしれないが、私の人間的素質なのか、元気がなくても口先だけはうまく回るので、色々と思うところをしゃべったり書いたりしているのだ。これが逆に誤解されやすいのかもしれない。一見ペラペラ達者にしゃべっているから、「体が悪いといっても、たいしたことないだろ」と軽くみられるのかもしれない。
 そういえば、市役所や就労支援のところに行った時も、「話し方もはっきりしているし・・・」と良い印象を与えて、社会復帰は難しくないと思われたようだ。はじめて就労支援に行ったとき、まともに対面することもできず、横を向いて話す状態だったらしく、すぐに次は母親との同伴になった弟Bとは対照的だった。その弟Bは、今年の春に障碍者雇用枠で就職が決まり、毎日決まりよく会社に通っている・・・。
 就労支援は1年くらい通って、結局結論が「病気は病院で治して」だったから、つくづく当てにならないと思ったが(とにかく「就労支援に行け」といった弟Aも悪い)、病院はどうなのだろうか。

  客観的にはそうなって当然だったのだろうが…、自分の中では奇妙な転落の連続である。