昨夜、たまたまつけていたテレビでは、NHKが放送記念日ということで、「フェイクニュース」を考える特集をやっていた。
インターネットでは、日々大量のあやふやな情報が行きかっている。欧米の取り組みに倣ってNHKも「ファクトチェック」をやってみたらしいが、1日に3件デマをデマだと確認するのがやっとだったらしい。出演していた識者が言うように、これでは「イタチごっこ」なわけだけれど、私はこの問題をさほど深刻に考えない。
デマの発信元をいくつかたどるだけでも、それを平気で垂れ流し続け、反省しない人と、訂正したり謝罪したり、それから慎重になる人がいる。そういう発信者の傾向だけでも、ネットでよく言われるような、「はちまは信用できない」とか「保守速報は信用できない」といった認識が定着する。
すべてのファクトチェックをできなくても、「だいたい信用できない発信元」というのはあるのだ。
その点では、閉鎖してまた別に新しく始めることもできる匿名に比べ、既存のマスコミは責任が重くて大変だろう。(朝日新聞は過去の記事のことを、ネットでずっと言われ続けているわけだし。)
デマをデマだと指摘しても、かえってかたくなに信じ込んでしまうという、厄介な例もあるという。こういう話でよく引用される格言、「人は信じたいものだけを信じる」も出てきた。
フェイクニュースには、自己増殖する循環構造が備わっている。「フェイクニュース」でツイッターを見ると、「NHKこそ嘘ばかり」といった“例の意見”であふれていた。こういう人たちは、インターネットで「既成のマスコミは嘘ばかり」だと「わかった」ので、新聞やテレビがフェイクニュースの批判的分析を展開しても、「NHKは嘘ばかり」だから聞く耳を持たない。しかしもちろん、ネットならなんでもかんでも信じるわけではなく、NHKに批判的であればあるほど飛びつく…、という循環が起きて、本人の認識が「偏向マスコミ」の比ではなく偏っていく。
インターネット時代になって、人はそれぞれ信じたいものを信じるだけの小宇宙を作っている…などというとSFじみた世界観が浮かんでくるが、とはいえ、やはり私はデマを信じ続けることには限界があると思う。
右翼のまとめサイトでよく好まれる話題、「韓国経済は危険な状態!」「中国経済は破綻寸前!」といったトピックも、現実に韓国や中国の経済が破綻しなければ説得力は続かない。太平洋戦争で日本が敗北したとき、ブラジルに住んでいた日系移民の中には、日本が負けたことを「信じない」人もいたという。日本から遠く離れた中南米なら、信じないで済ませることもできただろう。だが現実に当時の日本に住んでいれば、GHQのアメリカ人兵士が我が物顔で闊歩する現実、「戦争に負けた」という現実を否定することはできまい。
フェイクニュースでつくられた虚構の世界に閉じこもっていられるのは、良くも悪くも日本がそのくらい平和だからなんじゃないかね。その点では、そういう「ポストモダンの新時代」を吹聴して人気を博した哲学者・東浩紀氏が、東日本大震災を経験したことを機に「それまでの自分が崩れた」といったことは興味深い現象だった。
前に取り上げた、関西生コンと辻元清美氏、福島瑞穂氏との関係も、“現実に警察の捜査が及ぶかどうか”だろうよ。国会の会期終了後、逮捕されたりするのかどうか。さすがに警察や検察が、国会議員だからといって辻元氏に遠慮することはありえない。
しかしこれもねぇ、私の見るところ週刊誌の飛ばし記事以外、根拠の薄いニュースだと思うよ。まずほかのマスコミが報道しない。思い出したけれど、過去の例に照らせば、辻元氏は2002年に秘書給与流用事件で辞職したことがある。
おぼろげな記憶では、最初は週刊新潮のスクープだったが、瞬く間に各社マスコミが後追いした。そんとき後追いしたのに、今回後追いしない理由はない、と思うけど。
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