今度勝つのは、どちらにチップを置いたものか。左翼なのか、安倍政権なのか。

 私はこれまで、さんざん中国(政府)シンパや北朝鮮(政府)シンパを批判してきた。とはいえ、彼らが個人的に嫌いでも、彼らが共謀罪とかナントカによって監視され、取り締まられるよりは、「健康的で文化的な最低限度の生活」を保障された社会のほうが、断然いい。
 多少の馬鹿、極論、ダメ人間でも生きていける、余裕のある上げ底された社会こそが、本当の「ゆたかな社会」だ。非科学的な原発反対しません、脳内お花畑の9条信者じゃありません・・・、ってな“知的エリート”のみが生き残る、そんなハードルのたっかいたっかい社会がやってきてはいけない。

 先日と同じことを考えている・・・。欧米で常軌を逸した表現規制エロマンガ弾圧が進み、セーラー服を着た女の子が描かれているエロマンガを持っていただけで有罪になり、性犯罪が日本より多いなら、そんな欧米のテロ対策にならった共謀罪など、危険極まりない・・・。
 それとも、情報強者の人にとっては、欧米の悪いところを拒否して、いいところだけ学んでいるという論理学でもあるのだろうか。

 共謀罪反対派は、「危機をあおっている」と馬鹿にされがちだ。しかし私見では、集団安保法制がなくても現行の憲法解釈で自衛隊保有し、(個別的な)自衛権を行使できるし、共謀罪がなくても、「現行法でテロの取り締まりは十分できる」という識者もいる。

 だとすれば、「これを成立させなければ、オリンピックを開けない」などと、ありもしない危機をあおっているのは安倍政権のほうである。しかしたいていの保守的な人間にとって、そうはならない。

 良くも悪くも戦後70年、本当の社会的混乱が何なのか、分からないくらい日本は平和だった。そして今、安定した平和な社会を乱すのは、左翼になるのか、安倍政権になるのか。

 「ですが、もう去る時です。私は死ぬべく、あなた方は生きるべく。私たちのどちらがより善き運命に赴くのかは、誰にも明らかでありません。神は別にして」(プラトンソクラテスの弁明」、光文社古典新訳文庫、106ページ)