馬と鹿と野と郎

「世人は欺かれることを欲す」(ペトロニウス)

今月の「100分de名著」は、スピノザ「エチカ」。

 

  「エチカ」は表記ゆれがありまして~、岩波文庫版は「エチカ」だけど、中公クラシックスでは「エティカ」なのだ。検索するときは気を付けよう。

 僕も読んでみようと思って図書館で借りたけど、全然先へ進まず返しました・・・(小声)。中公クラシック版の冒頭の解説だけはわかりやすかったので、よく読んだ。前に引用したときも、実はそこで見たやつを使ったのDA☆
  

 スピノザ「エティカ」の言葉を使った記事。

銀英伝における無能と有能。 - 犬沼トラノオ日記

 

エティカ (中公クラシックス)

エティカ (中公クラシックス)

 

野党が仕事するのを妨害する与党の政府。

www.asahi.com

”聴取票は、実習先から失踪して摘発された実習生から理由や置かれた状況などを個別に聞き取ったもの。野党議員に閲覧が許可されたが、複写は禁じられており、手分けして書き写したという。”

 これなぁ。
 ネット右翼から「野党は仕事しろ」「野党は税金泥棒」などといわれているが、「野党の調査で判明した」とあるように、ちゃんと仕事はしています。むしろ、政府がわざわざコピーを禁じて手書きさせてたり、野党が仕事するのを政府が妨害している。これは税金の無駄遣いといえるんでは?
 排外主義の右翼にとっちゃ、外国人がどう扱われてようがどうでもいいんだろうが、もしこれが国内の労働者のアンケート調査がゆがめられていた場合だったら? 裁量労働制のように、間違ったデータに基づいて間違った政策が推し進められたら?(裁量労働制のデータ間違いも、野党の指摘で判明したわけだが。)
 実のところ深刻だと分かっているからこそ、右翼は入管法改定とかふれない。

 関連

成立急ぐ入管法改正案、アベノミクスとの整合性に疑義:朝日新聞デジタル

2018年流行語大賞、雑感。追記あり。

 

 

 大賞は「そだねー」。個人的には「大迫半端ないって」の方が流行ってた印象で、大賞間違いなしだと思ってたんだけど、ネットあんまり見てない人からすると、「そだねー」と甲乙つけがたいのかな。(半端ないってbotというのはあったが、そだねーbotというのは見なかった)
 「ご飯論法」で紙屋高雪さんが、上西充子氏と共同受賞。昔からサイトを読んでいた人が、今になって流行語大賞を受賞するというのは、感慨深いものがある。
 ツイッターで検索すると、「サヨクのねじ込み」とか「ごり押し」と避難ごうごうだが、野党や左翼をおちょくるたとえ話ばかりで、誰も具体的に「この安倍総理の答弁はごまかしではない」と反証できていないのは象徴的。当の安倍支持層が、一番安倍総理の答弁なんてチェックしてないんじゃないかな。

 少なくとも「ご飯論法」で受賞した紙屋高雪さんや上西充子さんは、議事録から引用までして「これはご飯論法だ」と批判しているわけで、まずそれを読んでよ。それから批判してよ。
 流行語大賞には批判が絶えないが、そもそも流行ったとか流行ってないというのが主観的なので、数名の審査員で選ぶことに無理があるともいえる。もっと定量的な根拠を求めるとすれば、最近はやり(?)のテキストマイニングのように、新聞やツイッターで使われた回数をはかったりしたらどうだろうか。

 

 追加。関連まとめ。

 「ご飯論法」の名付け親として受賞されたのは、このような方々:上西充子(法政大教授)、紙屋高雪(ブロガー・マンガ評論家)/紙屋氏は本名の「神谷貴行」で福岡市長選にも出馬(共産党市議団事務局長)と毎日新聞 - Togetter

 昨日「『ご飯論法』への具体的批判がない」と書いて、詳しくツイートをチェックしたわけでもないので拙速だったが、このまとめでも具体的批判は以下略ちゃん氏とわたぼうし氏くらい。あとは「サヨクだから、共産主義者だからダメ」と思わせたい無内容なツイート。「ご飯論法」への具体的批判がもっとあるなら、追加してほしいが・・・。

微細なリアル。「SSSS.GRIDMAN」第8回の感想。

 第8回見た。敵役である新条アカネは、最初「なんでこんなサイコパスなんだ」と思ったが、主人公たちのいる世界がアカネによって作られた世界らしいので、アカネにとって街の人間はゲームデータのように消す(殺す)のがためらいないのだと思われる。
 このアニメの日常描写が丁寧なのは、アカネという「神=造物主」の傲慢さに対して、造物主を置いてけぼりにして微細なリアルを生きる登場人物を対置しているためだろう。またそれでこそ、町と人を守ろうとするヒーローに意味がある。
 そんなに深読みする必要もないだろうが、「アカネに真実をなかなか聞き出せない」といった登場人物たちの中途半端な言動も、「虚構世界で役割をこなすだけではない」という象徴かもしれない。
 登場人物が合理的思考だけで行動すれば、ストーリーはスイスイ進むが、登場人物は生きた人間ではなく作品世界の駒になってしまう。「なろう系」と笑われるような一群の作品は、主人公に都合よく話が進む典型だが、「デスノート」みたいに緻密な頭脳戦の作品でも、登場人物がコマであることに変わりはない。

 エモーショナルなED曲に乗っかって、学園祭をエンジョイする登場人物たちと、欠席して一人部屋で寂しく虚脱感を味わうアカネは、わかりやすい対比だった。

あの「メガロポリス・ノックダウン」が帰ってきた! 田澤類「メガノク」


seiga.nicovideo.jp

 田澤類先生の「メガノク」を読む。

 「打ち切り?」と思われた「メガロポリス・ノックダウン」の続きがあった。それも今年1月の更新で、結構前になる。気づくのが遅かった。(ツイッターでフォローしても、そのあとろくにチェックしていない人も多いので・・・。すいません)
 「スプラトゥーン」をモデルにしたと思わしきゲームを説明するとき、突然スイッチが入って大所高所からゲーム業界の現状なんかを語りだす守さんが、オタクあるあるでわかりみが深い・・・。そして前に自分からストーカーして守の家に乗り込んだくせに、「キモくて、つい」というだけで催涙スプレーを発射する鋭美ちゃん、マジ鬼畜の所業。

 

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