馬と鹿と野と郎

「世人は欺かれることを欲す」(ペトロニウス)

災厄と祭典。北京から東京オリンピックへ


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 いよいよ東京オリンピックが、「欲しがりません 勝つまでは」の進め一億総火の玉状態に突入してまいりました。

 政府の主催で無事遂行するために、通販やら高速道路の利用やらなんやら私生活とレジャーを犠牲にし、選手が勝てばマスコミ総出で「感動をありがとう」「子供たちに夢を与えてくれた」って、こりゃもう目的語を伏せれば戦争しているようにしか見えないね・・・、オリンピック。
 太平洋戦争の例が古いってんなら、北京オリンピックかなぁ。中国は全体主義政府だからオリンピックのためにいろいろ統制できたが、自由で民主的なはずの日本でも、お達しが多少マイルドなだけでやらせようとしていることは同じ。
 そういえば、東日本大震災を受けて自民党は「国土強じん化計画」といった災害対策のインフラ整備を公約に掲げていたはずだが、あれはどうなったんだろうか。なんかいつの間にか聞かなくなって、最近の大阪地震西日本豪雨で日本の街づくりが対策できていないことも証明されてしまった。
 地方のインフラは老朽化が進んでいるが、過疎になって人口の回復が見込めない地域は、インフラ投資が割に合わなくなっているというコスト計算もある。採算の取れない国土強靭化計画の代わりに、オリンピック特需で建設業界を潤すというのが安倍政権のやり方か。

仕事で記事を書きました。その2。

 皆様よろしくお願いいたします。

bibi-star.jp

 詩子の記事は、弟が買った「ヒナまつり」1~14巻がすでに家にそろっていたため、それを読みながらスイスイ書けた。画像のチョイスは意外と大変(規約のチェック等)で、1日仕事になったけれど。

オウムから20余年。日本人とは。

 オウム真理教の教祖と教団幹部の死刑が執行された。死刑の執行自体は、今の日本だったら法相の気まぐれで決まっているようなものなので、特筆すべきことは何もない。
 オウム事件は、事件そのものの凶悪性もさることながら、実行にかかわった幹部たちが誰もかれも一流大学を卒業したエリートだった、という点が日本社会に深刻な衝撃を与えた。

 たとえば今回死刑が執行された一人、井上嘉浩死刑囚は、溜めた小遣い1万5千円を仏教の経典につぎ込み、バブルの時代に疑問を持って、「俺たちは本当に幸せなのか」という詩を書く若者だったという。その末路がオウム事件というのは極端な話だったが、オウムが社会に突き付けた若者の生きづらさとか、大げさに言えば実存的不安や死生観の混迷を、社会は受け止めきれなかった。
 ワイドショーの騒々しいオウム叩きを通じて、日本の世間が日本人に植え付けたのは、「オウムなんてイカれたカルトにはかかわらず、さっさと社会の適応しなさい」という見るも無残な回答だった。将来の不透明感から若者が安定した家庭を築くことも難しくなり、今の若者にあるのは「仕事」くらいなんじゃないのか? 
 ワタミユニクロにこき使われようが、とにかく働いていれば「ナマポ」の世話にならず社会に迷惑かけてないから「エライ」という、心底くだらない価値観が、ワーキングプアブラック企業が問題化される00年半ばまでには確かにあった。今でもあるだろう。
 就活に失敗して自殺する若者とか、電通の自殺した若い女性社員とか、はた目には「なんですぐに自殺してしまうのか」と思うだろうが、今の若者を支えるのが「仕事」だけなら、まぁ特に不思議もないだろう。とりあえず日本社会は、仕事をしなくても命は尊いのだから、生活保護バッシングをやめなさい。それから若者の自殺対策に取り組め。

 
 参考記事

(死刑執行 オウムが残した問い:1)教祖語らぬまま 若者集めた「カルト」、凶行の末:朝日新聞デジタル

(死刑執行 オウムが残した問い:2)逮捕後の側近、帰依も悔いも:朝日新聞デジタル

「血の墓場」とステイゴールド

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 ステイゴールドは競争成績もドラマチックだったが、種牡馬として成功したことは本当に驚くしかない。メジロマックイーンが母の父で成功したことはわかる。セクレタリアトの例もあるしね。けどまさか、ステゴが・・・。
 日本の競馬界は「血の墓場」といわれるほど血統のはやり廃りが激しいが、日本で失敗した種牡馬のパターンといえば、だいたい(日本の軽い芝に適性がない)重厚な長距離血統だった。晩成で長距離型というサイアーライン途切れること待ったなしの血筋で、よくもまぁ三冠馬が出たものだ。(しかも父親に似ているのもはっきりわかる。)
 (※セクレタリアトは、アメリカの三冠馬アメリカの競馬史上、最高の馬とも評される。現役時代はぶっちぎりで強かったが、長距離タイプの血統が災いしたのか、種牡馬としては不振を極めた。しかし母の父としては、豊富なスタミナを伝えて命脈を保つ。)

ネット右翼ビジネスの転回点として。


inunohibi.hatenablog.com

 さらに考えてみたのだが、これをうけて「ネトウヨもしょせん金儲けだった」という批判は単純すぎると思う。むしろ保守速報やアノニマスポストの凋落は、広告が撤退するまでに表現をマイルドにするような軌道修正も図れず、「ネット右翼がビジネスとしてうまくいかなくなった」好例としてとらえるべきでは。

大半の広告が撤退した保守速報が、読者に窮状を訴えているようだが - 法華狼の日記

 一方で、左翼向けのデマメディアとして悪名高い「リテラ」や「日刊ゲンダイ」は、なんだかんだいってつぶれることなく続いている。だから、意外と左翼はしたたかというか、自由市場において左翼が生き残っていることこそ自信を持つべきなんではないかな。(個人的にリテラやゲンダイ、面白くないんだけど。)
 田山たかし氏なんか、「在特会のやっていることには賛成しない」と断りつつも、「左翼と中国・韓国が在特会を生み出した」と「己の罪を数えよ」な告発者気取りだったが、在特会の方が先に壊滅した。
 もちろん市場原理がすべて正しいわけではない。休刊したからやっぱりクソ雑誌だったとか、つぶれたからやっぱりダメ出版社だった、ということもないだろう。しかし今回の件は、意外と自由市場の調整能力を使ってネット右翼ビジネスをつぶすことができるというものだった。
 アダム・スミスは言ったべさ。信用を守るとか、品質を守るとか、最低限のモラルがないと、金もうけも(長期的に)続かない。