馬と鹿と野と郎

「世人は欺かれることを欲す」(ペトロニウス)

図書館で借りた本、メモ。エマニュエル・トッド氏「愛した世界が夜の闇に沈む」

 「別冊歴史読本 古代史論争歴史大事典」。「天皇」という称号はいつ始まったのか、大化の改新の実態はどうなのか、元号聖徳太子の虚実など、中身が濃かった。2000年の本なので、最新の研究は、また別の本になるだろう。つくづく「歴史読本」の休刊が惜しまれる・・・。
 「大人の教科書 古代史の時間」青春出版社。文章とイラストが、ライトで読みやすかった。説はちと古い感じ。“教科書”だから仕方ないか。
 エマニュエル・トッドその他「世界の未来」(朝日新書、2018年)が面白かったので、朝日新聞記者によるインタビュー集「グローバリズム以後」(同、2016年)も借りてみた。「世界の未来」ほど面白くはなかったが、トッド氏が母国フランスの政治状況に深い危機感を持っていることが分かった。
 トッド氏の主張を要約してみれば、かつてフランスは、経済でドイツや日本に後れを取っても、社会的寛容さがあって素晴らしい国だったのに、今ではイスラム教、ムスリムを敵視する排外主義が幅を利かせている。しかもタチの悪いことに、彼らは「政教分離」の原則とか、フランス共和国の普遍的な理念を隠れ蓑に差別をするのだ、・・・ということらしい。

 記者は、「日本も同じようなものですよ」と朝日新聞らしい(?)切り返しをしていたが、トッド氏からすれば、もともと軸が右寄りだった日本に比べ、左から右へ振れた母国フランスにショックは大きかったようだ。

 日本でいえば、「在日」外国人がいかに「日本人の勤勉、思いやり、気配りの美徳と相反する連中か」と熱弁されているようなものだろう。「文化が違う」と指摘すること自体は、もちろん悪いことではない。が、「文化の違い」を隠れ蓑に、大いに憎悪や差別がまき散らされているのが日本の現状だ。

 ところでまた、「日本での議論がどんなものか知りませんが」と断るトッド氏だが、彼がフランスについて語ることは、いちいち日本のこと細やかな状況に当てはまるように見える。たとえば、112ページの発言・・・「今日の社会で表現の自由を妨げるのは、昔ながらの検閲ではありません。今風のやり方は、山ほどの言説によって真実や反対意見、隅っこで語られていることを押しつぶし、世論の主導権を握ることです」
 組織ぐるみの工作が疑われているDAPPIも、それ自体はテンプレネット右翼の駄アカウントに過ぎないが、いちいちトレンドのトップツイートを占拠することによって、良識ある意見を隅に押しやる目くらまし効果はあるだろう。
 ネット右翼は「ネットの普及で(マスコミの)ウソがばれた」などといっているが、ネットに真実を拡散させる力があるなら、デマを拡散させる力もあるんだよなぁ。ただ「真実だけが拡散する」というネット性善説の危ういことよ。

朝日新聞出版 最新刊行物:新書:グローバリズム以後

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感想。トリューニヒトの描き方と、「銀英伝ノイエ」6話。

 アニメの新銀英伝、「トリューニヒトがOVA版に比べてカリスマ性がない!」という感想が、ギャオのレビューやツイートで多いこと。OVAはまだ未視聴。時間ができたら見ようと思っている。
 しかしまぁ、これも百回言われていることだろうが、このアニメはOVAのリメイクではなく、小説の再アニメ化なんだ。
 原作小説の描写に基づく場合、トリューニヒトの描き方はさぞや難しいだろう。ヤンの視点(ユリアン視点ともいわれている)からは、トリューニヒトは空疎で大仰な言葉をもてあそぶ扇動政治家に過ぎないが、一方で、結果的にうまくいく政治センスを発揮する。魅力がわからないが、なぜか人気の危険な男。
現実の世界史でも、19世紀にナポレオン三世は、「叔父(ナポレオン一世)の人気だけ」「小ナポレオン」と散々馬鹿にされたが、近年では大衆政治の先駆者として再評価する分析もある、らしい。となれば、ポピュリズムとか扇動政治家というのは、いつの時代も「小物」に錯覚されてしまうのではないか?

 それにしても、小説とアニメのメディアの違いというのは、制作者にとって大変だろう。地の文で書かれるトリューニヒトの「空疎さ」だけではなく、多く地の文で書かれるヤンの皮肉や諦観も、アニメではいちいち声に出している。余計な心配だけど、原作以上にヤンがイヤな奴に思われそう。

 銀英伝ノイエ、6話。エル・ファシルのときは少女だったが、大人の女性に成長したフレデリカを見ると、本当に今作のヤンが若作りだな~と思う。

 イケメン化されたのは、別にいい。OVAからして、十分イケメンだったし。おじさんっぽさがないと、こいつ年いくつだよって波紋の使い手とか吸血鬼説になってしまう。
 あとそれから、フレデリカが有能で記憶力がいいという設定は置いといても、失礼な言葉というのは言った方よりも言われた相手の方が覚えてるんだよな~、ヤン少将。

エマニュエル・トッド氏「子供を増やしたければ、もっとルーズになりなさい」

 最近、エマニュエル・トッド氏その他、複数の海外知識人のインタビューを集めた朝日新書「世界の未来」を立ち読みした。トッド氏は、「子供を増やしたければ、もっとルーズになりなさい」といっていた。
 数千万人が暮らしながら、ごみの散らかってない綺麗な東京をほめつつ、一方で命というのはもっと汚い、猥雑なところから生まれると指摘。トッド氏の母国フランスでは、婚外子が多いということにふれつつ、トッド氏自身も最初の妻と離婚が成立していないうちに、別の女性と子供を作ったことを告白。
 「あんたもかい!」と思ったが、このように権威ある学者が率先してルーズだから、フランスの出生率も回復しているのだろう。いい話だ。国会議員は、額縁に入れて執務室に飾ってほしいくらいだ。

 さらにトッド氏は、「エリートに独創性がない」「高等教育は、時間をかけて独創性のない人間を選別する仕組み」と、欧米の大学と政治家をけなしていた。こういう発言は、日本だったら一昔前に言われつくした感があって、今、逆に聞かなくなった。

 今の優等生的な模範解答というのは、「いえいえ、独創性なんてどうやって測るのかわからないし、結局テストの点数が一番はっきりした基準になりますよ」というものだろう。私だって、あほな文部科学大臣が「独創性のある人材育成を」とか言い出せば、腹が立ってそう言っている。

 けどトッド氏ですよ。あの、乳児死亡率その他のデータから、ソ連の崩壊を鋭く見立てた独創的研究者エマニュエル・トッド氏から、「エリートに独創性がない」といわれたら、「そうですね」と平伏するしかない。痛快な本だ。(トッド氏のところしか、読んでないけど。)

陸軍(旧日本軍)の階級一覧表。追記あり。

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 「ゴールデンカムイ」のような話を見ていると、階級の上下とかが「よくわからん」という人のために。(戸部良一「日本の近代 9 逆説の軍隊」、39ページから転載。)
 ゴールデンカムイの登場人物でいえば、下から順に谷垣一等卒(のちの一等兵)、尾形上等兵、玉井伍長、月島軍曹となる。

 ちなみに、他国の軍隊は(これまた)国や時代によって階級の種類が違うので、一概に日本軍と対応するわけではない。熊谷直「日本の軍隊ものしり物語 1」によると、海軍においては明治19年に、モデルとしていたイギリス海軍にならって、中尉と中佐が廃止されたことがある。しかし、これでは日本の陸軍と同一の階級が不在になるため、明治30年に元に戻された。(48ページ)
 悪名高いあのアドルフ・ヒトラーが従軍していた時の階級は、「伍長」と訳されるのが一般的だったが、最近の歴史書では「上等兵」が多くなっている。他国の階級を日本語訳する難しさがしのばれる。

 追記。

 ちなみに、一等卒、二等卒の「卒」という呼び方は、江戸時代の足軽や同心を意味する。足軽は通常家を継ぐことはなく、一代限りの武士であり、藩によっては名字を名乗ることも許されず、厳格に差別された。そのためにこれを気にする兵がいるということで、当時の宇垣陸相が変更した。(熊谷直「日本の軍隊ものしり物語 part1」57ページ)
 軍隊は建前上平等。戦前の軍隊も、結構ポリコレを気にしていた、という例かもしれない。

アニメ「銀河英雄伝説ノイエ」の感想、というわけでもなく。

 「キャラデザが「黒子のバスケ」だ」とか何とかいわれている新銀英伝(ノイエ)ですが、あれは、平和な時代だったら彼らも戦争指導者ではなく、NBAスターでも目指して青春送っていたんだ…、という制作者のメッセージなんですよ(適当なでっち上げ)。

 
 銀英伝のすばらしさは、登場人物たちが物語上の役割をもって、重層的に絡み合っている様にあるだろう。我々は、自分だけが社会空間のプレイヤーではなく、他にも様々な考えを持った人間が各々言いたいことを言って、この世界に複雑な影響を与えていることを知っている。だがそれを、実際に創作物で再構築できる作家は、限りなく少ない。
 複数の思考プレイヤーをかき分けるには、作者にも複数の思想的な引き出しが必要になる。さらに、それらのボールをはじいてナイスショットを決める技量も必要になる。
 ガンダムや銀英伝以降、いくつもつくられた「もどき」戦記物も、大抵は天と地ほどクオリティーに差があった。表面的な設定はマネできても、面白さの核心をマネできる近道はない。