馬と鹿と野と郎

「世人は欺かれることを欲す」(ペトロニウス)

NHKスペシャル「731部隊 ~エリート医学者と人体実験~」の感想

www6.nhk.or.jp

 NHKスペシャル「731部隊」、見ましたよ。主にハバロフスク裁判の音声テープ、部隊に所属していた元少年兵の証言、京大、東大医学部の協力の証拠で構成されていた。

 一番いいと思ったのは、当時のマスコミが、抗日ゲリラを「匪賊」として憎悪を掻き立て、中国人を蔑視する風潮を紹介していたこと、ある医学者が「実験には匪賊(の死刑囚)を使えばいい」「医学の発展のための、尊い犠牲になる」と講演していた記録の紹介。

 つまり、当時おおやけにも、「中国人捕虜を人体実験に使っていい」という倫理感があったことになる。

 排外主義に駆られて当時の倫理観が狂っていたからこそ、731部隊の人体実験はありえた。「ねつ造」などとオコチャマじみた切り捨てをしているネット右翼も、戦争になったら中国人を見境なく殺す側の人間だと思うがね。

「善良な日本人」だからこそ (付記、731部隊)

 終戦記念日までの数日間、NHKスペシャルでは、731部隊インパール作戦の特集をやっていた。この二つに対する反応の違いは、予想通りだったけれど、興味深い。

 日本軍の戦争犯罪については、「善良な日本人がそんなことをするはずがない」という雑な否定論が存在する。理論的な根拠はなくても、「そんなことをするはずがない」というぼんやりとした感覚は、バカにできないものがある。生活感覚の裏付けを欠いた、インテリによる「理論だけの日本帝国主義の暴虐さ」というのも、それはそれで困りもの。

 「善良」などという思い込みを外しても、今の日本で731部隊の生体解剖、人体実験のような非道が起こることは、想像できない。(それでも、731部隊の闇は戦後史に底流として存在し、帝銀事件のような関係を疑われる事件があるし、元731部隊の人間が創設したミドリ十字による、薬害エイズ事件につながっている。)

 しかしインパール作戦は、「今でもいるよね、こういうダメ上司」という、日本人の経験的な直観に照らし合わせて受容される。むしろこの件では、「善良な日本人」だからこそ、「アジアの解放」といった美名に目がくらみ、無理や無茶を精神論で押し通そうとする構図が、痛々しさをもって理解される。

 追記。

 731部隊については、青木冨貴子「731 石井四郎と細菌戦部隊の闇を暴く」(新潮文庫)が、現在入手できる本の中で特に詳しいと思う。値段も安い。(アマゾンをチェックしてみたら、品薄のようだが…。) 新潮だから右翼的ということはなく、むしろこれは、左翼的な本かもしれない。

 生体解剖、人体実験の疑惑が、「森村誠一という左翼のねつ造、よた話」というのは、矮小化に過ぎない。同書でハバロフスク裁判の証言を採用しているのは、疑問に感じるところだが(一般論として、旧ソ連では、過酷な自白強要とえん罪が後を絶たなかった)、それ以外の裏付けもある程度存在する。

 731部隊の関係者は、人体実験のデータをアメリカ政府に提供することで、戦犯として起訴されることを逃れた。たとえば、それに対するエドウィンヒル博士の報告書「ヒル・リポート」には、こうある。

 「今回の調査で集められた事実は、この分野におけるこれまでの見通しを大いに補い、また補強するものである。このデータは日本人科学者たちが巨額な費用と長い年月をかけて入手したものであり、人間への感染に必要な各細菌の量に関する情報である。こうした情報は、人体実験に対するためらいがあるわれわれの研究室では、入手できない」(438ページ)

 

 731―石井四郎と細菌戦部隊の闇を暴く (新潮文庫)

731―石井四郎と細菌戦部隊の闇を暴く (新潮文庫)

 

 

植民地の相対評価とは

 台湾では、しばしば「国民党の統治と比較して、日本の統治はよかった」といわれてきた。現在のパラオミクロネシアなど南洋諸島では、「アメリカの占領統治と比較して、日本はよかった」と考えられているらしい。長年、植民地状態が続いていた地域の人ならば、そういう相対評価が当たり前かもしれない。

 一方、韓国では、「朝鮮は独立国だった」という基準に照らし合わせて、日本の植民地統治が断罪される。

 日本人の耳には、台湾の見方のほうがマイルドに聞こえるし、朝鮮半島が日本の植民地にならなかった場合、ロシアの植民地になっていたように見える。(否定する研究者もいるが…。たとえば和田春樹氏。) 「そこは絶対評価ではなく、相対評価してヨ」と思う日本人は、結構いるようだ。

 しかしよく考えてみれば、日本は独立を守り通した国で、それは極度に植民地化されることを恐れていた証でもある。日本は朝鮮半島でインフラを整備したとか、人口が増えたとかいうけど、日本人はそんなことと関係なく、欧米の植民地支配を恐れていた。

写真は日中戦争の「真実」を語っているのか?

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www.kobe-np.co.jp

headlines.yahoo.co.jp

 

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 毎日新聞の記事によると、「大部分は、中国での旧日本軍進駐を人々が歓迎する場面とみられる写真を載せた絵はがきに抗議文をあしらった同一のスタイルだった」「さらに、差出人の住所や氏名を明記し抗議文をワープロ印刷したはがきが大量に届き始めた。やはり大部分が同一の文面で、組織的な抗議活動をうかがわせた」という。

 ツイッターでも、南京事件への言及を眺めると、否定論にたいてい「日本軍を歓迎する中国の民衆」の写真が付いている。誰かが「こういう形式で書こう。投稿しよう」と扇動しているとか?

 例の「歓迎する中国人」の写真が、南京のものかどうかは置いといて、歓迎されるような日本軍も、いるにはいただろう。どの部隊も略奪や暴行をやっていたわけではなく、中には規律正しい部隊もいた。南京事件の時でさえ、南京攻略戦に参加したすべての部隊が虐殺・略奪をやったわけではなかった。

 南京事件に対する、半藤一利氏(「文藝春秋」元編集長)の概観。「一概には言えませんが、南京を攻めるときに南と東と揚子江沿いとの三方から攻めるわけです。南から攻めていった部隊は虐殺をしていません。規律を守って明らかに戦争を堂々と戦っています。ところが、揚子江沿いの部隊と東から行った部隊は、かなり虐殺をしたんです」(半藤一利、保坂正康、井上亮「東京裁判を読む」文庫版、249ページ。)

 世界が非難したイラク戦争で、フセイン政権が倒されたときも、市民は街頭にあらわれて歓迎していた。本当にフセイン政権が憎かった人もいるし、新しい支配者であるアメリカ軍に合わせただけの人もいるだろう。とりあえず歓迎しといたほうが、扱いはよくなる。それは弱小国の人の知恵である。

 日中戦争においても、大多数の中国人がおとなしく従っていても、一部の中国人がゲリラ活動をしていれば戦争は続くわけだし、日本軍が抗日ゲリラに手を焼けば、「三光作戦」といわれた無人化政策の理由にもなる。

 20世紀を代表する写真家ロバート・キャパにも、スペイン内戦を映した「崩れ落ちる兵士」をめぐって、真贋論争がある。写真とはそのようなものだ。

 つまり、例の写真は何を語っているのか。ほんの一部しか語っていない。日中戦争という巨大な現象に対し、ファインダーの枠におさまる断片に、そうそう都合のよい「真実」があるのか。

 

「東京裁判」を読む (日経ビジネス人文庫)

「東京裁判」を読む (日経ビジネス人文庫)

 

 

調べてこそだ

http://konomanga.jp/interview/52634-2/2

 ゴールデンカムイの作者・野田サトル氏へのインタビューでは、「コミックスの巻末にはすごい数の参考資料が載ってますね」と聞き手がたずねているが、面白い漫画を描くためには、本来これくらい調べる必要があると思う。

 あえて言わせてもらうが、世の小説やドラマの大半がつまらないのは、調べてないからだろう。ちゃんと描く対象を調べてこそ、想像力も刺激される。

 俺は健康上の問題と、金銭的問題で、満足のいく勉強ができない。(今は金欠で資料を買えないわけだが、これも体がよければもっと図書館を使ったりできるので、要するにすべては健康の問題。)結局いつも、勉強不足で「これ、ちゃんと面白いかなぁ」と不安になりながら書いてしまう。

 体が弱いという天分は、(かなり)変えようがない。体が弱い、という経験を反映させて書くのみ…。

 

面白いというより、うらやましい。「君の名は。」

 家族が借りてきた「君の名は。」DVD。視聴前は、いかにも若者向け青春アニメのこれを、年長の両親が楽しめるのかい、と思ったが・・・。母に「ラ・ラ・ランド」とどっちが面白かった? と聞いたら、「君の名は。」という回答だった。

 日本ではこけたっぽい「ラ・ラ・ランド」。かたや大ヒットした「君の名は。」 男女の精神入れ替わりというのはよくある設定だが、たいていの先行作品は身近な知り合い(クラスメイト、親子)が入れ替わり、小規模な日常世界で完結していた。

 これは遠くの見知らぬ男女が入れ替わることによって、互いに気になり始め、男のほうが会ってみようと訪れるが…、というところからまた話が二転三転する。

 プロモーションで印象的な、きれいな巫女さん姿も、画面を華やかにするための飾りではなく、ちゃんと意味があった。ついでにヒットして、そこらじゅうで流れまくっていた「前前前世」の曲も、単なるタイアップではなく、ちゃんと意味があった。そこに大きな意外性はないが、ゴテゴテとした無駄はなく、すっきりした後味。

 純粋に楽しむよりは、「こんな出来のいい話が作れてうらやましいなぁ」という羨望のまなざしになった。いやさ、私も青春小説もどきを書いて、しかもちっとも話題にならないから・・・、売れるというのがうらめし・・・、いや、うらやましくて仕方ない。